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エッセイ 「米価高騰の陰にある、農業者としての想い(2024年に離農した私の立場から)」
2025-08-05
カテゴリ:会社情報
 最近、「お米の値段が高くなっている」という声をよく耳にします。食卓を預かる家庭では「またか」とため息が出るかもしれませんが、その裏側には、もうひとつの深い問題が横たわっています。私は2023年まで稲作を続けてきた農家のひとりでした。けれど、昨年、ついに離農を決断しました。今こうしてエッセイを書くにあたり、改めてこの問題の根深さを感じています。
 1970年代以降続いてきた「減反政策」。国の方針で米の生産を抑え、その代わりに補助金を交付するという制度です。米が余っているからと生産者に「作るな」と制限される一方で、米価はじわじわと下がり、米づくりで生活を支えるのは年々難しくなっていきました。その補助金さえも段階的に打ち切られ、今では制度そのものが終了しています。そうしたことから農家の収入は一層厳しさを増していき、多くの農家が農業を続ける意味を見出せず、離農していきました。

 「一度農業をやめたら、二度と戻れない」とよく言われます。これは感情論ではありません。農業をやめると、機械は売り、田んぼは貸すか放棄されます。特に中山間地では、荒れた田んぼはすぐに草や雑木に覆われ、管理道や水路も壊れていきます。荒廃した田んぼは簡単には元に戻せないのです。
 中山間地の田んぼは、山の斜面にあり機械が入りにくく、作業は手間も体力もかかります。農業機械は高額で、コンバインや田植機は1台数百万円以上。古い機械を修理しながらの作業にも限界があり、私自身も、長く迷った末に、2024年に米作りを断念しました。
 2023年の猛暑や豪雨で米の品質が悪化し、供給が減少。そこへコロナ明けの外食需要や訪日観光客の増加が重なり、米が足りなくなりました。価格は一気に跳ね上がりましたが、「今から増産を」と言われても、もう作れる人も設備も残っていないのが現実です。
 平野部では大規模化が進み、法人経営も増えていますが、人手不足や資材費の高騰に悩む点は変わりません。中山間地では、担い手そのものがいなくなりつつあります。しかも、農業の衰退は単に生産量の減少にとどまらず、地域の景観や用水路の維持、農村のコミュニティの空洞化にもつながっていきます。
 政府は備蓄米の放出などを進めていますが、問題の本質は、農業の「土台」が失われつつあることです。長年の政策が担い手を減らし、今の価格高騰はその結果とも言えます。
 今こそ、農業を続けられる仕組みが必要です。中山間地では小規模でも採算が取れる支援、平野部では若者の就農支援や機械導入補助、そして「農業は大切だ」という社会全体の理解が不可欠です。
 米は、ただの食品ではありません。日本の文化や風景、そして暮らしそのものです。私自身は離農しましたが、あの田んぼを見ていると、米づくりは誇り高い仕事だったと実感します。今回の米価高騰が、農業の未来を考えるきっかけになればと願っています。
M・A
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