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社員投稿(エッセイ等)

伊丹堂さん
2024-08-30
カテゴリ:会社情報
 普段何気なく通り過ぎる道端に、実は深い歴史が隠されていたことをご紹介します。
 我が家の南、斐伊川土手中段の道路沿いにある小さな石造りの「伊丹堂(いたんど)さん」。地元ではそう呼ばれ親しまれているこのお堂は、我が家の町内会と隣の町内会が共同で管理しており、毎年旧暦の6月13日に例祭が行われ、本年は7月18日に我が家と近隣3軒が当番を務め、お祭りを執り行いました。
 東林木に家を構えて13年、今回が初めての当番です。
 お堂の存在は以前から知っていましたが、その謂れや歴史については全く知りませんでしたが、今回、例祭の準備を進める中で、過去の資料や文献を見ていたところ、その謂れと歴史を知ることとなりました。
 それは、このお堂にお祀りされている地蔵には、人柱の伝説があること。お堂は、松江藩主の松平直政公によって築造され、明治維新までは松江藩が管理していたことです。

 人柱伝説については、昔(おそらく江戸時代の頭)、大洪水によって堤防が決壊し、その復旧工事に際して、通りかかった「板箕(いたみ)売り」を人柱に捧げたという言い伝えで、その霊を鎮めるため地蔵を建立したというものです。人柱といえば、松江大橋の源助柱が有名ですが、まさか我が家のすぐ近くにもこのような伝説があったとは、驚きです。
 また、お堂の築造については松平直政公が近くで鷹狩りを行った際に、お気に入りの鷹が行方不明になり、地蔵に「鷹を帰らせていただければ、お礼にお堂を建ててさしあげる」と祈念されたところ、まもなく帰ってきたとのことで、約束通りお堂を築造され、堤防を守る仏さまとされたという事です。

 普段私たちは、有名な場所や人物の歴史にばかり目が向きがちですが、実は身近な場所にも、まだまだ知らない歴史や伝説がたくさん隠されていることに気づかされました。
 今後もこのような機会があれば、地域の歴史についてもっと深く探求していきたいと思っています。
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